⏱ 30秒サマリー
何をする反応か — ベンゼン誘導体に Cr(CO)3 ユニットをη6配位させ、芳香環の性質を一時的に「書き換える」方法。Cr(CO)6 とアレーンを加熱するだけで黄色の錯体が得られる。
何ができるか — 電子求引性の Cr(CO)3 によって、通常は不活性な芳香環への求核付加・SNAr、環上およびベンジル位の脱プロトン化、ベンジル位カチオンの安定化が可能になる。Cr(CO)3 が環の片面をふさぐため立体制御ができ、二置換錯体は面不斉をもつ。用が済めば光・酸化剤で外せる。
いつ使うか — 電子求引基のないアレーンで SNAr・脱芳香族化をしたいとき、ベンジル位の立体を制御したいとき、面不斉・軸不斉を経由して不斉合成をしたいとき。量論量のクロムを使うため、近年は Ru/Rh による触媒的π配位活性化も比較対象になる。
概要
アレーンクロムトリカルボニル錯体 (η6-arene)Cr(CO)3 は、1957年に Fischer と Öfele が (η6-ベンゼン)Cr(CO)3 として初めて報告した有機金属錯体である[1]。Cr(CO)6 とアレーンを不活性ガス下で加熱すると CO 3分子がアレーンと置き換わり、「ピアノ椅子型」の錯体が生じる[2,28]。
Cr(CO)3 部位はアレーンの電子を強く引きつけるため、錯形成した芳香環では次のような反応性の変化が起こる[29,30]。
- 環への求核付加・芳香族求核置換(SNAr): ニトロ基などの活性化基がなくても、カルバニオン等が環炭素に付加してη5-シクロヘキサジエニル錯体を与える[3,4]。ハロゲンを脱離基とすれば SNAr となり、酸化すれば C–H 置換、プロトン化や求電子剤捕捉を行えば脱芳香族化となる[7,27]。
- 環上・ベンジル位の酸性度の上昇: 環上水素のリチオ化やベンジル位の脱プロトン化が容易になる[29]。
- ベンジル位カチオンの安定化: 錯体化したベンジル型カチオンは熱力学的に安定化され[6]、ベンジル位の加溶媒分解は遊離アレーンより約10⁵倍速いと報告されている[9]。
- 立体制御: 嵩高い Cr(CO)3 が環の片面を覆うため、試薬はおおむね反対面(exo 面)から近づく[29,30]。
- 面不斉: 異なる2置換基をもつ1,2-または1,3-二置換アレーン錯体は面不斉をもち、不斉合成の中間体や不斉配位子として使われる[29,30]。
反応後、Cr(CO)3 は光照射(空気存在下)、I2、Ce(IV) などで除去でき、「取り外し可能な補助基」として振る舞う[7,30]。
一方で、量論量のクロム化合物を使うこと、および錯形成の段階で長時間の加熱と厳密な嫌気条件を要することは、今も実用上の課題である[11]。近年はこの課題に対し、①少過剰のアレーンで高収率に錯形成する改良法[11]、②Cr(CO)3 を「痕跡を残さない反応性増強剤」と位置づけた触媒反応との組み合わせ[10,13,15,16]、③Ru・Rh を用いて π 配位を一過性・触媒的に行う方法[20–22,31]、という方向で研究が進んでいる。
反応機構
(1) 錯形成
Cr(CO)6 から CO が熱的に解離して生じる配位不飽和種にアレーンが配位し、最終的に3つの CO と置き換わる。中間体は酸素に非常に弱いため、反応は厳密な嫌気条件で行う(Imperial College 実験テキスト参照)。一方、生成した錯体は固体では空気中で安定で、多くは結晶性である[11]。
アレーンは熱的に、CO は光化学的に解離しやすい。このため、より穏やかな「アレーン交換」試薬として (η6-ナフタレン)Cr(CO)3 や Cr(CO)3L3(L = NH3, MeCN, ピリジン)も使われるが、これらは Cr(CO)6 から1工程余分に調製する必要がある[11,30]。連続フローやマイクロ波を用いる調製法も報告されている[12,30]。
(2) 求核付加と η5-シクロヘキサジエニル中間体
求核剤は exo 面(Cr と反対側)から環炭素を攻撃し、アニオン性の η5-シクロヘキサジエニル Cr(CO)3 錯体を与える。Semmelhack らは 2-リチオ-1,3-ジチアンとベンゼン錯体から得たこの中間体を X 線結晶構造解析で確認している[4]。同グループはその後、置換アレーン錯体への各種炭素求核剤の付加へと展開した[5]。
この中間体の行き先によって、生成物の型が決まる。
| 中間体に作用させるもの | 生成物 | 備考 |
|---|---|---|
| 付加位置にハロゲンがある(ipso 付加) | 置換アレーン(SNAr) | ハロゲン化物イオンが脱離する[3] |
| I2・Ce(IV) などの酸化剤 | 置換アレーン(形式的に C–H を置換) | 酸化と同時に脱錯体化する[4,7] |
| H⁺(プロトン化) | シクロヘキサジエン | 過剰の強酸では異性体混合物となる[7] |
| 炭素求電子剤(不可逆な付加体の場合) | trans-5,6-二置換シクロヘキサジエン | CO 挿入を伴いアシル基が導入されることがある[7] |
(3) 求核付加の位置選択性
置換アレーン錯体への付加は、アルコキシ・アミノ・フルオロなどの共鳴ドナー置換基に対してメタ位に、トリメチルシリル基に対してはパラ位に起こりやすい[7,8]。この選択性は Cr(CO)3 のコンホメーションによる電荷の偏り、LUMO 係数、求核剤の反応性、立体要因などで説明されてきた[7]。アニソール錯体のメタ選択性は DFT 計算でも検討されている[32]。
ただし、これらの解析はいずれも速度支配を前提としており、Kündig はその前提自体が厳密には確立していないと指摘している[7]。実際、ニトリル安定化カルバニオンやエステルエノラートの付加は可逆であり、時間とともに熱力学的に安定な位置の付加体へ異性化する例がある。一方、2-リチオ-1,3-ジチアンの付加は不可逆である[7]。
(4) 酸性度の上昇とベンジル位の活性化
Cr(CO)3 の電子求引により、安息香酸やフェノールは錯体の方が強い酸となり、アニリンは錯体の方が弱い塩基となる[9]。この効果は環上 C–H の脱プロトン化(オルトリチオ化)やベンジル位の脱プロトン化を容易にし[29]、Pd 触媒による C–H 活性化さえも加速する[10]。Larrosa らは DFT 計算に基づき、錯体中の C–H 結合が芳香環平面から外へ曲がりやすいことが協奏的メタル化–脱プロトン化(CMD)遷移状態を有利にしていると提案している[10]。
(5) ベンジル位カチオンの安定化
錯体化したベンジル型カチオンは熱力学的に安定化されることが1969年に示されている[6]。Cr の d 電子が隣接するカチオン中心と相互作用するためと説明され、Co2(CO)6 錯体を利用するニコラス反応と同様の発想で、ベンジル位の SN1 型置換を立体保持で行うことができる[30]。Cr(CO)3 が環の片面を覆うため、求核剤はカチオンの exo 面から攻撃すると考えられる。
特徴・適用範囲・類似反応との比較
強み
- 電子求引基なしで芳香環を「電子不足」にできる。 フルオロベンゼンのような非活性アレーンでも SNAr が進む[3,11,14]。Larrosa らは、モノフルオロベンゼンの C–H アリール化反応性が錯体化によってペンタフルオロベンゼン並みに高まると報告している[10]。
- 立体制御と不斉合成に強い。 Cr(CO)3 による片面遮蔽、面不斉、そこから誘導される軸不斉を利用した不斉合成の実績が豊富である[23,25,26,29,30,34]。面不斉錯体は不斉触媒反応の配位子にも用いられる[24,30]。
- 脱芳香族化の足場になる。 求核付加と求電子剤捕捉を組み合わせれば、平面的なアレーンから立体的なシクロヘキサジエンを一挙に構築できる[7,27]。2020年代にも新しい脱芳香族化反応の報告が続いている[17–19]。
- 取り外せる。 反応後は光照射や酸化剤で除去でき、「痕跡を残さない」補助基として使える[10,30]。
弱み・注意点
- 量論量のクロムを使う。 錯体化・脱錯体化で2工程が加わるうえ、クロム含有廃棄物が出る。
- 錯形成に過酷な条件が必要なことが多い。 典型的には Bu2O/THF の還流〜160 ℃ で一昼夜以上加熱し、従来はアレーンを大過剰(2–50 当量)用いてきた[11]。改良法ではアレーン 1.0–1.2 当量で十分とされる[11]。
- 錯形成しにくい・しない基質がある。 ビニル・アルキニル・アリール基や電子求引基をもつアレーンでは、直接錯形成は一般的でない[30]。ビアリールではモノ錯体とビス錯体の分離困難な混合物になりやすい[11]。
- 加熱中の副反応。 クロロアレーンは Bu2O/THF 中 160 ℃ の錯形成条件で脱塩素化が併発し、2-クロロアニソールでは目的錯体とアニソール錯体がほぼ 1:1 の混合物となった[11]。
- 求核剤を選ぶ。 MeMgBr や Me2CuLi は付加せず、n-BuLi や MeLi は主に塩基として働く[30]。安定化カルバニオン(ジチアニル、ニトリル安定化、エステルエノラート等)が典型的な求核剤である[4,7]。
- 可逆な付加体では求電子剤捕捉ができない。 ニトリル安定化カルバニオンの付加体に炭素求電子剤を加えると、求核剤が引き抜かれて原料錯体に戻る[7]。
- 錯体の安定性。 固体錯体は空気中で扱えるが、シリカゲルカラム上や加熱中に酸化分解して収率が下がることがある[11]。
類似反応との比較
| 方法 | 前駆体 | 生成物の型 | 長所 | 短所・注意 | 使いどころ |
|---|---|---|---|---|---|
| Cr(CO)3 錯体経由の SNAr・求核付加 | 非活性アレーン(ハロアレーン等) | 置換アレーン/シクロヘキサジエン | 電子求引基不要/立体制御・面不斉/脱芳香族化にも展開可 | 量論量 Cr/錯形成・脱錯体化の2工程 | 活性化基のないアレーンの官能基化、不斉合成 |
| 古典的 SNAr(活性化アレーン) | ニトロ基等をもつハロアレーン | 置換アレーン | 金属不要・簡便 | 強い電子求引基が必須 | 活性化基が目的物に残ってよい場合 |
| Ru・Rh による触媒的 π 配位 SNAr | 非活性フルオロアレーン等 | 置換アレーン | 金属を触媒量化できる[20,31] | 求核剤・基質の適用範囲は Cr 法と異なる | Cr の量論使用を避けたい場合 |
| [CpRu(arene)]⁺ 経由の SNAr | 非活性アレーン | 置換アレーン | 光照射で生成物を放出[21]/¹⁸F 標識への応用[22] | 生成物の放出に光照射を要する[21] | エノラート等の求核剤、PET 標識 |
| 指向性オルトメタル化(DoM) | 指向基をもつアレーン | オルト置換アレーン | 金属錯体不要 | 指向基が必要 | 指向基のあるアレーンのオルト官能基化 |
| Birch 還元 | アレーン | 1,4-シクロヘキサジエン | 簡便・大量合成向き | 位置・立体の制御幅が狭い | 単純な脱芳香族化 |
反応例
クロロベンゼン錯体によるカルバニオンのフェニル化
Semmelhack と Hall は、(η6-クロロベンゼン)Cr(CO)3 がカルバニオンと反応して塩化物イオンを置換し、カルバニオンを「フェニル化」することを1974年に報告した[3]。続報で反応中間体についても検討されている。
求核付加–求電子剤捕捉による脱芳香族化
不可逆に付加した η5-錯体(ジチアニル付加体など)をアルキル化剤で捕捉すると、CO 挿入を経て trans-二置換シクロヘキサジエンが得られ、その trans 配置は X 線で確認された[7]。求電子剤の反応性はアリル > 1級 ≫ 2級、脱離基は OTf > OMs ≈ I > Br ≫ Cl の順と報告されている[7]。Pearson らはアニソール錯体へのワンポット付加–捕捉–脱錯体化を (±)-erythro-ジュバビオンの形式合成に用いた[37]。
面不斉・軸不斉を利用した天然物合成
Uemura らは、面不斉をもつアリールブロミド錯体とナフチルボロン酸の鈴木–宮浦カップリングでビアリール軸を立体選択的に構築し、コルペンサミン A・B の合成に応用した[34]。同グループは、カップリングの溶媒(メタノール還流かキシレン還流か)によってビアリールの syn/anti 異性体を作り分けられることも示している[23,30]。
Kündig らはクロム錯体を経由する不斉脱芳香族化により、アセトキシツビポフランの両鏡像異性体を合成している[33,36]。
分子内 SNAr による13員環形成:GKK1032A2
Uchiro らは GKK1032A2 の初の不斉全合成において、(η6-アレーン)Cr 錯体の分子内 SNAr で高度に歪んだ13員環のアリールエーテル骨格を直接構築した。アレーン Cr 錯体の分子内 SNAr でアリールエーテル型大環状化を達成した初めての例とされる[35]。
相間移動触媒による不斉 SNAr
Maruoka らは、フルオロアレーン由来の Cr 錯体と α-アミノ酸誘導体の SNAr を、ビナフチル型キラル相間移動触媒で不斉化した。ニトロ基のような強い電子求引基をもたない、電子供与基をもつアレーンでも α,α-二置換 α-アミノ酸が高いエナンチオ選択性で得られる[14]。
「痕跡を残さない」C–H アリール化
Larrosa らは、フルオロアレーン錯体とヨードアレーンの Pd 触媒 C–H アリール化を報告した[10]。続報ではアニソール錯体のオルト選択的アリール化を達成し、アニソール部位をもつ生理活性化合物の後期修飾に応用している[13]。
ベンジル位の触媒的不斉クロスカップリング
Walsh らは、Cr(CO)3 で活性化したベンジルアミンのベンジル位リチオ体とアリールトリフラートの Pd 触媒カップリングを、動的速度論分割として不斉化した。配位子は192種のハイスループット評価で見いだされた[15]。
2020年代の新展開
- 一過性の錯体化による不斉水素化: (ナフタレン)Cr(CO)3 との選択的アレーン交換で一方のアリール基だけを錯体化し、続く不斉水素化で 立体的・電子的に似た2つのアリール基を区別して gem-ジアリール不斉炭素を構築する「リレー戦略」が報告された[16]。
- 脱芳香族的カルボニル化: Li らは、Cr 錯体を利用したアレーンの脱芳香族的トリフルオロメチル化アミノカルボニル化を報告し、プラジカンテルなどのアミド系医薬品の CF3 誘導体合成に応用した[17]。さらに、Ph3SiH によるクロム結合アレーンの化学選択的 1,2-還元で 1,3-シクロヘキサジエンを得て、(±)-ガランタミン・リコラミンの形式合成に用いた[18]。極性転換を利用して2つの求核剤を逐次付加させる、CO ガス不要の脱芳香族的カルボニル化も報告している[19]。
実験手順
標準的な実施例:アレーン少過剰での直接熱分解法(Bunescu らの改良法)[11]
- 乾燥したフラスコに Cr(CO)6(1.0 当量)とアレーン(1.0–1.2 当量)を入れ、アルゴン置換する。
- Bu2O/THF(体積比 9:1、0.15 M)を加え、アルゴン正圧下 160 ℃ で 20–48 時間加熱する。
- 冷却後、濃縮し、シリカゲルカラムクロマトグラフィーで精製する。生成物は黄色〜橙色の固体として得られることが多い。
→ 1,2-ジメトキシベンゼン(10 mmol スケール)で 70%。47 例で 19–96% の収率が報告され、フルオロ・クロロ・アセトキシ・Bpin・エステル・ジメチルアミノ基が許容される。マルチグラムスケールに対応する。
変法A:クロロアレーン錯体の合成(1,4-ジオキサン法)[11]
上記条件ではクロロアレーンの脱塩素化が併発するため、溶媒を 1,4-ジオキサンに替える。
- Cr(CO)6(1.0 当量)とクロロアレーン(2.0–2.5 当量)を 1,4-ジオキサン中、120 ℃ で加熱する(通常 48 時間程度)。
→ 電子豊富なクロロアレーンで 47–53%、電子不足な 1-クロロ-3-フルオロベンゼンでは 30%。脱塩素化体は生成しない。
変法B:錯体上での SNAr[11]
- (η6-フルオロアレーン)Cr(CO)3 と求核剤(カルバゾール、インドール、アルコール等)を、NaH を塩基として DMF 中で反応させる。
- 0 ℃ で開始し、室温まで昇温する(試薬の添加順・当量は原著 SI を参照)。
→ ヘテロ環やエーテルが連結した錯体が中程度〜良好な収率で得られる。
変法C:錯体上での鈴木–宮浦カップリング[11]
- (η6-クロロアレーン)Cr(CO)3(1.0 当量)、アリールボロン酸(1.2 当量)、Cs2CO3(2.2 当量)、Pd(PPh3)4(5 mol%)を乾燥 1,4-ジオキサン中に入れる。
- 50 ℃ で 5 時間撹拌する。
→ (4-クロロアニソール)Cr(CO)3 で 63%、(3-クロロトルエン)Cr(CO)3 で 99%。ビアリールのモノ Cr(CO)3 錯体を選択的に得る方法として有用である。
脱錯体化
光照射(空気存在下)、I2、硝酸セリウム(IV)アンモニウム(CAN)、CO、PPh3、ピリジンなどが用いられる[30]。求核付加後のη5-錯体は I2・Ce(IV)・Fe(III)・O2 で酸化され、置換アレーンとクロムが分離する[30]。
実験のコツ・テクニック
- 錯形成の段階は厳密に嫌気的に。 熱分解で生じる配位不飽和なクロムカルボニル種は酸素に非常に弱い。真空ライン・不活性ガスでの脱気を繰り返してから加熱する。一方、生成した固体錯体は空気中で扱えることが多い[11]。
- 昇華する Cr(CO)6 を戻す工夫。 Cr(CO)6 は揮発性で、還流中に冷却管の上部に析出する。Bu2O/THF 混合溶媒の THF 成分が還流して析出物を洗い戻すほか、析出した Cr(CO)6 をフラスコへ戻す専用の Strohmeier 型装置も使われる[30]。
- アレーンを大過剰に使う必要はない。 高沸点・固体のアレーンや、錯体と極性が近いアレーンを大過剰に使うと精製が困難になる。改良法ではアレーン 1.0–1.2 当量で高収率が得られている[11]。重水素化体や Bpin 体など貴重なアレーンでは、逆にアレーンを限定試薬とし Cr(CO)6 を 1.5 当量使う[11]。
- クロロアレーンは溶媒を選ぶ。 Bu2O/THF 中 160 ℃ では脱塩素化が起こるため、1,4-ジオキサン中 120 ℃ に下げる[11]。
- 精製はすばやく。 シリカゲル上での酸化分解が収率低下の一因になる[11]。短いカラムで手早く溶出させるのがよいと考えられる。
- 求核剤の選び方。 単純なアルキルリチウムやグリニャール試薬は付加せず塩基として働くことが多い。安定化カルバニオンを選び、可逆な付加体(ニトリル安定化カルバニオン等)では時間・温度によって位置選択性が変わりうる点に注意する[7,30]。HMPA の添加は可逆な異性化を遅くすると報告されている[7]。
- 面不斉錯体の合成法を目的に合わせて選ぶ。 キラル補助基を使うジアステレオ選択的錯形成・リチオ化、キラル塩基による不斉脱プロトン化、プロキラル錯体の触媒的脱対称化などがある[29,30]。(−)-スパルテイン/n-BuLi 系では、スパルテインの当量によって得られる面不斉錯体の鏡像体が逆転した例が報告されている[30]。
- ⚠ Cr(CO)6 の毒性。 供給元によって GHS 分類が異なる。Merck の SDS では急性毒性(経口)区分3(H301、「危険」)、遮光・施錠保管、130 ℃ で分解・210 ℃ で爆発的分解とされる。Apollo Scientific では H301 に加え H317(アレルギー性皮膚反応)、H350i(吸入による発がんのおそれ)、H400/H410(水生毒性)、EUH044(密閉加熱で爆発のおそれ)が記載されている。いずれにせよ、昇華性の固体であるためドラフト内で扱い、粉じん・蒸気の吸入を避ける。使用前に手元の製品の SDS を必ず確認されたい。
- ⚠ クロム廃棄物。 脱錯体化で生じるクロム化合物は、所属機関の規定に従い重金属廃棄物として処理する。
参考文献
【原著】
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- Beyzavi, M. H.; Mandal, D.; Strebl, M. G.; Neumann, C. N.; D’Amato, E. M.; Chen, J.; Hooker, J. M.; Ritter, T. ACS Cent. Sci. 2017, 3, 944–948. DOI: https://doi.org/10.1021/acscentsci.7b00195 (Ru π 錯体経由の ¹⁸F-脱酸素フッ素化)
【不斉・面不斉】
- Kamikawa, K.; Sakamoto, T.; Tanaka, Y.; Uemura, M. J. Org. Chem. 2003, 68, 9356–9363. DOI: https://doi.org/10.1021/jo0302307 (軸不斉ビアリールの不斉合成)
- Gibson, S. E.; Ibrahim, H. Chem. Commun. 2002, 2465–2473. DOI: https://doi.org/10.1039/b205479p (面不斉アレーン Cr 錯体を用いる不斉触媒反応)
- Koide, H.; Hata, T.; Uemura, M. J. Org. Chem. 2002, 67, 1929–1935. DOI: https://doi.org/10.1021/jo011052p (プロキラル錯体のエナンチオトピックなリチオ化による軸不斉アミド・アニリド)
- Kamikawa, K.; Kinoshita, S.; Matsuzaka, H.; Uemura, M. Org. Lett. 2006, 8, 1097–1100. DOI: https://doi.org/10.1021/ol0529997 (SNAr による軸不斉 N-アリールインドール)
【総説】
- Pape, A. R.; Kaliappan, K. P.; Kündig, E. P. Chem. Rev. 2000, 100, 2917–2940. DOI: https://doi.org/10.1021/cr9902852 (遷移金属を用いる脱芳香族化)
- Kündig, E. P. Top. Organomet. Chem. 2004, 7, 3–20. DOI: https://doi.org/10.1007/b94489 (η6-アレーン錯体の調製法)
- Uemura, M. Org. React. 2006, 67, 217–657. DOI: https://doi.org/10.1002/0471264180.or067.02 (ベンジル位活性化と立体制御。実験例を網羅)
- Rosillo, M.; Domínguez, G.; Pérez-Castells, J. Chem. Soc. Rev. 2007, 36, 1589–1604. DOI: https://doi.org/10.1039/B606665H (有機合成におけるクロムアレーン錯体の総説)
- Williams, L. J.; Bhonoah, Y.; Wilkinson, L. A.; Walton, J. W. Chem. Eur. J. 2021, 27, 3650–3660. DOI: https://doi.org/10.1002/chem.202004621 (π 配位による芳香族反応活性化。触媒的な一過性配位を含む。オープンアクセス)
- Pfletschinger, A.; Koch, W.; Schmalz, H.-G. New J. Chem. 2001, 25, 446–450. DOI: https://doi.org/10.1039/b002898n (アニソール錯体への付加位置選択性の DFT 研究)
【応用例】
- Kündig, E. P.; Cannas, R.; Laxmisha, M.; Liu, R.; Tchertchian, S. J. Am. Chem. Soc. 2003, 125, 5642–5643. DOI: https://doi.org/10.1021/ja029957n (アセトキシツビポフラン両鏡像体の合成)
- Watanabe, T.; Tanaka, Y.; Shoda, R.; Sakamoto, R.; Kamikawa, K.; Uemura, M. J. Org. Chem. 2004, 69, 4152–4158. DOI: https://doi.org/10.1021/jo049600x (コルペンサミン A・B)
- Sugata, H.; Inagaki, K.; Ode, T.; Hayakawa, T.; Karoji, Y.; Baba, M.; Kato, R.; Hasegawa, D.; Tsubogo, T.; Uchiro, H. Chem. Asian J. 2017, 12, 628–632. DOI: https://doi.org/10.1002/asia.201601728 (GKK1032A2、分子内 SNAr による13員環形成)
- Kündig, E. P.; Laxmisha, M. S.; Cannas, R.; Tchertchian, S.; Liu, R. Helv. Chim. Acta 2005, 88, 1063–1080. DOI: https://doi.org/10.1002/hlca.200590078 (クロム媒介脱芳香族化によるアセトキシツビポフラン合成のフルペーパー)
- Pearson, A. J.; Paramahamsan, H.; Dudones, J. D. Org. Lett. 2004, 6, 2121–2124. DOI: https://doi.org/10.1021/ol0494414 (ワンポット付加–捕捉、(±)-erythro-ジュバビオン形式合成)
関連反応
- ウルフ・デッツ反応 Wulff-Dotz Reaction
- 芳香族求核置換反応 Nucleophilic Aromatic Substitution
- フィッシャーカルベン錯体 Fischer Carbene Complex
- ニコラス反応 Nicholas Reaction
- オルトメタル化 Directed Ortho Metalation
- 鈴木・宮浦クロスカップリング Suzuki-Miyaura Cross Coupling
- バーチ還元 Birch Reduction
- 触媒的C-H活性化反応 Catalytic C-H activation
- ザンドマイヤー反応 Sandmeyer Reaction
- ウルマンカップリング Ullmann Coupling
- フリーデル・クラフツアルキル化 Friedel-Crafts Alkylation
- フリーデル・クラフツ アシル化 Friedel-Crafts Acylation
関連書籍
外部リンク
- Chromium hexacarbonyl – Wikipedia(英語)
- (Benzene)chromium tricarbonyl – Wikipedia(英語) — 物性(融点・溶解性)、GHS 分類、熱的・光化学的な配位子解離の傾向
- Organochromium chemistry – Wikipedia(英語)
- A3: Vacuum Line Technique and Anaerobic Handling: The Synthesis of η6-arene Tricarbonylchromium(0) Complexes(Imperial College 学生実験テキスト) — Strohmeier 型装置、脱気操作、Bu2O/THF 還流での合成手順、Cr(CO)6 の取り扱い注意
- Chromium(0) hexacarbonyl SDS(Merck 8.22196)
- Chromium arene complexes in organic synthesis(Chem. Soc. Rev. 2007 総説・出版社ページ)
- Extensive Studies on the Synthesis and Characterization of π‐Arene Chromium Complexes(Chem. Asian J. 2025、PMC 全文・オープンアクセス) — 実験手順で参照した改良錯形成法の全文
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